プロフィール

初めまして、よしたく先生です。本名は吉田卓矢です。

このページはYouTubeチャンネル「よしたく先生の音楽室」では説明しきれない内容を文章や画像を使って説明するためのページです。

中高生に、僕が20年かけて勉強してきた「全て」の情報をシェアして、少なくとも僕の年よりも若いうちに、僕が到達したところまでは眺めてほしいと思っています。

最近の活動内容

小学校の校歌を作曲しています

母校である福島県田村郡小野町立小野新町小学校が統廃合によって新しい学校組織になるということで、校歌を作曲することになりました。

http://www.town.ono.fukushima.jp/uploaded/attachment/9034.pdf

勉強会を開催しています

株式会社オークハウス様主催で、大人の部活動「作曲研究室」と題した勉強会を行なっています。第一回の詳細はこちらからご覧になれます。

これまでの道のり

MODIQUE株式会社様のページにもインタビュー記事がありますので、合わせて読んでみてください。

幼稚園のころ

元々は福島県田村郡の滝根町に住んでいたんですが、幼稚園に入園するために小野町に引っ越すことになりました。祖父母が小野町に住んでいたので、その家の横に新しく家を建てて住むことになりました。いわゆる二世帯住宅というやつです。

家の周りには山か田んぼしかありません。夏場はセミが大合唱をしていて、風が強い時は木に生いしげる葉っぱがぶつかってサラサラと綺麗な音がします。もしかすると、これが僕の音楽の原点だったかもしれません。

​幼稚園に入るのと同時にヤマハ音楽教室にも通うことになりました。エレクトーンとピアノを一緒に習っていたような記憶があります。実家にはピアノはないので、カシオ製のキーボードを使って練習をしていました。今でも実家にあるので、そのうち写真を撮ってきますね。

小学生のころ

小野新町小学校という学校に通っていました。ホームページの写真に写っている校舎で僕も勉強をしたり運動をしたりしていました。好きな教科は算数で、学校で買った算数セット(こういうやつ)に入っていた数え棒やおはじきで遊んでいました。

​小1からメガネをかけているんですが、これはゲームボーイとスーパーファミコンをやりすぎたせいかもしれません。

運動は完璧にダメでした。体はガチガチ、走ればスタミナ切れ、球技ではでくの坊。なので基本的に教室にこもっているか、図書室に出入りしているかでした。

​そういえば小3の時から水泳を習い始めたんですよ。相変わらずスタミナ切れでしたが…

実は僕には昼休みの時間はなかったんです。給食が食べられなくて毎回お昼休みまで食べていたので。納豆、菜の花のおひたし、牛乳。こいつらがやっかい者でしたね。

音楽の授業はまぁまぁ好きでした。この頃にはピアノが弾けるようになっていたので、「パフ」とか「オブラディオブラダ」の合奏にピアノで混じっていたような気がします。

そうそう、鼓笛隊というのがあって(音楽クラブみたいなやつ)、ヤマハのマーチングキーボードを弾いていました。「充電が切れると何もできないんだ」ということを教えてくれたのはこのキーボードでしたね。

​6年間って案外覚えていないですね。実家に行けば写真が出てくるとは思うんですが…

中学生のころ

当時は髪の毛を短くしていたので、瀧廉太郎と呼ばれたこともあります。春のうららの〜隅田川〜。

小野中学校に通っていました。校舎は建て替わってしまったんですが、僕の青春がここに詰まっていました。

運動が苦手だった僕は、ほぼ何も考えずにパソコン部に入部。ちなみに吹奏楽部は筋トレをしているのを見て断念しました。パソコン部の主な活動はタイピング練習やホームページ作成だったのですが、あれを中学校の時に勉強していたおかげでこのホームページもあるようなものです。

​早々にあきてしまったので、途中から楽譜制作と音源制作を始めました。音源制作というのはあまりイメージがわかないと思いますが、ゲームの曲(主にポケモン)の音を聞き取って、データをパソコンに入力して再生させる、というようなものでした。当時はWindowsXPでしたね、懐かしい。

ちなみに勉強の方ですが、学年順位はほぼ1位だったんですね。昔とった杵柄ですが。小学校の頃から勉強することに抵抗がなく、授業で聞けば簡単に覚えられたのでテストも対して困りませんでした。

なのに塾には通っていたんですよ、仲良しの人が行っていたので。塾では先生と雑談をしたり、デュエル・マスターズをやったり、セブンイレブンに買い物に行ったり…。勉強してないですねこれ。

​中学校まではほぼ小野町にいましたね。都会にかぶれることなく、ただの瀧廉太郎もどきでした。

高校生のころ

福島県の安積高校に進学して勉強に励んでいました。他県出身の方は読めないと思うのですが、これで「あさか」と読むんです。

「あづみ」ではありません。歴史の深い進学校で、僕は124期の入学生でした。卒業生と話すときもまずは「何期だったの?」という話になります。

高校で初めて弦楽合奏部なるものがあると知って、その部活に入りました。今でもチェロを弾いているのですが、そもそもチェロにした理由は「部活の見学に行ったら、ヴィオラかチェロしか空きが無くて、座って練習していたのがチェロだったから」なんです、すいません。​

この頃は医者になるべくめちゃくちゃ勉強していました。でもテスト期間は午前中で学校が終わったので友達とカラオケに行っていました。すみません。

あとは楽器屋さんにめちゃくちゃ通っていました。郡山駅の駅ビルの中に島村楽器という楽器屋さんがあるのですが、ほぼ毎日行ってキーボードを弾いたり楽譜を見たりしていました。

結局成績があまり良くなかったため、センター試験後に大幅な方向転換をしました。専門学校に通ってやろうとも思っていたのですが、県内の学校をもう一度調べてみて、福島大学を発見、何やら教育学部には音楽科があるということを知りました。

作曲の先生も居るみたいだし、じゃあここでいいやと二次試験へ向けての勉強を始めました。正味1ヶ月。

大学生のころ

福島大学の人文社会学群人間発達文化学類スポーツ・芸術創造専攻音楽コースに進学しました。長いですよね。

僕は受験科目で作曲を選びましたので、作曲研究室に入るのが基本的な流れだと説明会の時に言われました。

それで、初めて作曲研究室にお邪魔して、謎の音楽を聴かされました。これが現代音楽との出会いです。

サークルは管弦楽団と軽音サークル(音プロ)に所属して、クラシックもポップスもとにかく何でもやっていました。

大学院のころ

coming soon…

社会人になって

coming soon…

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